黒子!黒子!黒子!

2006/04/21

ぬか喜び

「あぁ・・・どこか遠くに飛んで行ってしまいたい・・・」
「できれば、仙台市内に行ってみたい」
「しかし、現在深夜2時・・・」
「列車も無ければバスも無い、そもそも私に動く気持ちが無い」
「このような陰鬱な夜にはコンビニエンスストアでポルノ雑誌のテープをコソコソと
はずし、閲覧するのが得策なのだろうが・・・」
「しかし、動く気持ちが無い、伊達 政宗像と同じくstay here状態」
「よし!こんな夜にはキントウンで、ひとっとびしますか!」

「キントウンよ!こいっ!」
と力を込めて叫んだにも関わらず、来ない・・・

「あぁそうか・・・私は清い心を持ち合わせていないのだ」
「清い心があればキントウンは来るのに・・・」

今日の黒子は、このような気分でお送りしたいと思います。


私は最近「孤独感」という感情について考える事があります。

疲れている日の平日夜7時〜10時までの間、若しくは日曜日の夕方頃に2,3時間程度眠りこけてしまった後、起きたらまず携帯電話をチェックする訳なのですが、着信も無ければメールも届いていない。
「あぁ・・・孤独」
「もしかして眠っている間に寝ぼけてメールをいじっていたのかもしれない」
「本当は大量のメールが届いているのかもしれない」
と万が一にも届いていないメールをわざわざ着信メールボックスまで探している私
「やっぱり一件のメールも来ていない」
「いやいや、ここは落ち着いて『i-モードお問い合わせ』をしてみるのが大人というものだ」
けれど結果は案の定・・・

と可能な限りの手段を行う事は、万策尽きて言い訳のしようが無くなってしまいます。
言いかえれば「完全敗北」「無条件降伏」「ポツダム宣言」の状態であります。

このような孤独感を感じる場面に出くわすと、色々と考えるのです。
その一例を紹介します。

「私には友人がいないのではなかろうか・・・」


「私は社会から必要とされていないのではなかろうか・・・」


「何かの隠密組織が一般社会と私を離別させているのではなかろうか・・・」


「どっきりカメラにハメられているのではなかろうか・・・」


「私自身、相当な『寂しがりやさん』なのではなかろうか・・・」


「眠りこけている間に戦争が始まったのかもしれない・・・」


「私はすでに死んでしまっているのではなかろうか・・・」


「そもそも私は人間ではないのではないか・・・」


「私はソーゲルを使い果たしてしまったのではなかろうか・・・」


など

客観的見解では結局の所、上記のような「私は・・・私は・・・」など、自己中心的
で感傷的な所が嫌われる要因だと分析しています。
しかしながら「このままでは孤独感に押しつぶされてしまう」という危機感だけが私の行動力になるのです。
だから私は仙台市内に飛んで行きたいのです。若しくはパキスタン辺り。

しかし、突然の悪天候の為キントウンが飛ばせないなんていうトラブルもありますので、いつも飛んで行ける訳ではありません。
そこで、この「孤独感」からの逃避手段を考えました。

其の一「酒を飲む」

しかし、私は「酒と女と自殺志願者」にはめっぽう弱い為、逆効果になることの方が多い。
アルコールが分解された後、アセトアルデヒドとなるが体内で処理しきれず錯乱状態に陥る事もしばしば。


其の二「携帯電話に登録されている女性に片っ端から『遊ぼうよ』メールを送信する」

しかし、時間は丑三つ時(深夜2時)
当然、誰からも返信が帰ってこない。
おや??2週間経っても誰からも返信がこない。
やっと1件の返信があったと思えば「こんな夜中にウザイんじゃ!めん玉つついたろか!」的な内容なので、完全なる逆効果。


其の三「身体を鍛える」

納得のいく「正拳突き」ができるまで眠らないルールを作ると良い。



「最近の携帯電話のバッテリーは減るのが遅いなぁ」
と独り思った時、それは一瞬のうちに強烈な「孤独感」に変わります。


「それはバッテリーが丈夫になった訳ではなく、誰からの連絡も無いんじゃい!!」


「携帯電話の性能をどうこういう前に、お前自身の性癖をどうにかせんかい!!」

など私は私からの叱責を受けます。

しかしながら、この程度の「孤独感」には打ち勝てる自分になりたいと思います。

おっと!!!!!
携帯電話をよく見てみると
「1件のメールを受信しているではありませんか!」{”〕
「私も、まだまだ捨てたもんじゃないですよ」
「はっはっは!別に「孤独感」に打ち勝つ必要がないのだ」
「きっと、どこぞのパツキン美女からのお誘いメールだろう」

と私は胸を高鳴らせて「受信トレイ」のボタンを押した訳ですが・・・
そこで私が見たものは・・・「メッセージ フリー」(お得なクーポン進呈中!今なら年会費105円・・・)

だとさ・・・

私は全世界に大きな声で宣言します。

「私はポツダム宣言いたします!」




黒子

2006/04/19

中華人民共和国の脅威

こんにちは、黒子です。


ファミコンソフトの「ゲゲゲの鬼太郎」ってあるじゃないですか。
緑色で角の丸いソフトね。
1面はあっさりとクリアしたいので、水晶玉だけ取ってしまえば、ボスステージは、
ぬりかべ防御&指鉄砲連打でなんとかなるし、2つ目のステージは避けたいじゃないですか。
1面には3つのステージがあり、1つ目のステージで水晶玉が出れば1面ボスステージ直行が基本中の基本になる訳です。
私は1つ目のステージで水晶玉を取り、ぬりかべを手に入れました。
「さて、ボス直行!」
と思った瞬間、2つ目のステージがボスステージまでの道中を微妙に塞いでいるわけです。
「すりぬけられるか?否か?」
しかし、2つ目のステージは、最高に微妙な所に位置しています。
そこで、おそるおそる少しずつ進み、2つ目のステージに触らないように慎重に歩いています。
通れるのか?無理か?ドキドキする瞬間です。


「なんとか通れそうだ・・・」

と思った次の瞬間

「デレレーーーーッ!」

っと残念ながら2つ目のステージに突入してしまいました。
すりぬけられませんでした。
しかも、私の嫌いなロウソクのステージ・・・
「毛玉のおやじ」を掴んだ後、焦って「目玉のおやじ」を取りに行ったのが運の尽き。足を滑らせて「目玉のおやじ」を獲得できないばかりか、穴にハマる。

「デン、デレン、デレン〜♪」

残1機となった私はリセットボタンを押すべきか!

いや、これは耐えねばならぬ使命なのではないか?
耐えなければ真の世界平和は訪れないのだ!
リセットボタンを押さずに2つ目のステージもクリアしてやろうではないか!
敵の攻撃をかいくぐり、ねずみ男の繰り出す高速弾を避けつつ、1つ1つロウソクに火を灯す私
「あと2本!」
「あと2本!」

しかし、あと2本が見つからない

やっと見つけたと思ったら難しい箇所の火を灯さなければならない。

「うぬぬ・・・」

「これは単独でノルマンディー上陸作戦を実行するようなものだ、危険極まりない」

「しかし、私(空挺部隊)がやらねば連合軍は敗北を喫するのだ」

と妙な使命感を胸にジャンプしました。

しかし結局、穴にハマり「デン、デレン、デレン〜♪」とゲームオーバー



ふぅ・・・


「ここぞ!」という場面で貧乏くじを引いてしまった後、必然の敗北に陰鬱な心境です。
今日の黒子は、そんな気分でお届けしたいと思います。


最近「※ファミコンっておもしろかったなぁ」と懐かしむことがあります。

※ファミコン

「ファミリー‐コンピューター」の略。ともに商標名。
1983年7月に任天堂が発売した家庭用ゲーム機。日本で本格的に普及した初の家庭用ゲーム機で、世界市場でも圧倒的なシェアを獲得した。当時としては驚異的な低価格とゲームに徹した仕様、アーケードゲームの人気作品の移植などが成功につながったとされている。8ビットの6502プロセッサを内蔵した第1世代のゲーム機である。
             (黒子苑より)



さて本題です。


「うかうかしてると、いずれ日本は中国に追い抜かれてしまう・・・」
という言葉を今まで30回以上は聞きました。


そのような言葉を発する人々はどのような気持ちなのでしょうか・・・?
中国の発展に対する賞賛なのでしょうか?
日本国のふがいなさに呆れているのでしょうか?
日本国が中国に負けそうで悔しいのでしょうか?
それとも、自分の経済論をひけらかしているのでしょうか?

少々トゲが立ちましたが、別段そのような発言をする人々を卑下している訳ではありませんので、誤解しないでください。

数年前、私には「made in china」=粗悪というイメージがあり、中国製品というだ
けで眉を潜ませていた記憶があります。

大きな工場で上下同じ色(褐色系)の作業着を着た大量の中国人がベルトコンベアーのラインで黙々と単純作業を繰り返す。
貧しい生活、安い労働力が精度の低い仕事を生み、粗悪な製品ができあがる勝手なイメージ。


しかし最近では「made in china」と表示された製品を見ると少し安心するのは私だけでしょうか・・・
私の中で「made in china」=良質という認識に変わりつつあります。確実に中国製品の質が上がってきており、今や中国製品は一つのブランドとも言えます。

その昔「made in japan」=粗悪
という世界認識がありましたが、日本国民の努力によって「粗悪」という認識は払拭されたようです。
『努力によって「粗悪」という認識は払拭された』という部分を強調したいと思います。


今回のテーマは「枠とルール」です。



あの偉い発明家も〜♪
凶悪な犯罪者も〜♪
みんな昔子供だってね〜♪

外国で飛行機が落ちました〜♪
ニュースキャスターは嬉しそうに〜♪
「乗客に”日本人”は、いませんでした〜♪」
「いませんでした!」
「いませんでした!」(悲痛な叫び)

僕は何を思えばいいんだろう〜♪
僕は何て言えばいいんだろう〜♪


続く・・・


さてどうでしょう、意味は分かりますよね。
言葉の通りです。
日本国という「枠」で考えた時に日本人の安否は気になる所です。
しかし「人命」という枠で考えた時、なんとも滑稽ですね。

何が言いたいのか結論を申します。
現在の中国の発展は日本国なくしては成し遂げられ無かった事だと思います。
日本の技術を中国がコピーしたといえば、それに近いと思います。
しかしながら
「日本が中国に負けそうで悔しい」と負けたくないのであれば負けないように努力しよう!
「日本のふがいなさに呆れている」のであれば日本国を変える為に努力しよう!
「自分の経済論をひけらかしている」のであれば、誤解を招く恐れがあるので細かく
説明が必要だ!
もしも「中国の発展に対する賞賛」であれば日本国を買いかぶりすぎだ!
ということです。

逆に、どの部分で中国より先行していたのかを教えて欲しい。

中国の人口は世界一位、国土は世界三位、国旗がカッコいい、と3本立てですよ。
文明、文化、食文化、エンターテイメント、精神、歴史、知恵、全てにおいて世界の注目の的ですね。

ですから、日本国が中国へのアシストをしたと思えばいいじゃないですかということです。
世界の発展の為に先端技術を提供した日本国に拍手!
先端技術を広めた中国にも拍手!
世界平和を歌にしたジョン・レノンに拍手!
しかし、武装解除しないブッシュには毒手!

「ブッシュ(ぶっしゅ)には毒手(どくしゅ)!」
「ブッシュ(ぶっしゅ)には毒手(どくしゅ)!」
「ブッシュ(ぶっしゅ)には毒手(どくしゅ)!」


ここで話を再度ファミコンに戻します。

ファミコンソフトの「ファミスタ」ってあるじゃないですか。
「落合」が「おちまい」になっていたり「桑田」が「くわわ」になっていたりで、名前だけで笑えるゲームでした。
当時はハイテクゲームソフトとして賞賛を受けました。
そのゲームの人気の秘訣として、変化球のかかり方、走塁スピードなど選手自体の能力に細かな個性があった所だと思います。

クロマティーや落合がバントしたらホームランになってしまうような、リアリティーのないゲームとは別格だったわけです。
ちなみに”リアリティーのないゲーム”とは「燃えプロ」のことね。

もう一つ「ファミスタ」のおもしろい所は日本プロ野球球団以外のチームが選べる所です。
そのチームの一つが「ナムコスターズ」N
「ぴの」という1番打者の走塁に大洋ホエールズのスーパーカートリオも敬礼したという逸話が残されているとかいないとか・・・
しかし「ナムコスターズ」は打線に難があり、あまり使うことは無かったような気がします。
2つ目のチームが「メジャーリーグチーム」M
とにかくこのチームは打つ!打つ!
1番から8番までホームランバッターが、ずらり揃っている無敵のチームなのです。

しかし、このチームの使用は「反則」として、あまり使われることは無かったような気がします。

しかし、私はガンガン使います。「メジャーリーグチーム」
フォークもガンガン投げます。
4番にはデッドボールをぶつけます。

だから少年時代、友人が少なかったのかもしれません。


私の理屈では「ファミスタ」という枠の中で対決しているのだから「メジャーリーグ」チームの使用はOK
逆に、勝負の世界で「大洋ホエールズ」のような弱小チームを使うのはナンセンスだと思っていました。

でもね、勝負に負けてリセットボタン押してしまう奴っているじゃないですか・・・

あれはダメだと思うんですよ。おもしろくないし・・・
確かに、2対1の1点ビハインドの緊迫したゲームの8回裏に我が「メジャーリー
グ」チームのホームラン連打による大量得点に腹が立つのは分かるけど・・・
だから、そういう奴には思いっきり軽蔑の目を向けてやるんですよ・・・敵前逃亡した兵士を蔑むような目でチラ見してやるんですよ。
でも、リセットボタン押されても私は怒らないんですよ。ふてくされもしなければ、
喜ぶこともない。当然、リセットボタンを押したことを責めないし、報復攻撃もしない。

なぜかというと「反則だから」です。


私のルールでは「メジャーリーグ」チームを使おうが「ぴの」が三盗を決めようが
OK
しかし、ゲーム外の物理的行動は「反則」なのです。
リセットボタンを押すのも「反則」
私からゲーム以外での報復攻撃をするのも当然「反則」


さて本題に戻します。

国家間の反則はどこまでエスカレートするのでしょうか?
私からすれば、アメリカのやることがリセットボタンを押してしまう事に等しいと思います。
同じく「テロリストによる武力行使」もリセットボタンを押してしまう事に等しいと思います。

どちらかが引かなければ知らず知らずの内に「反則」が「ルール」になってしまいます。
「反則」の常用化が進みます。

中国人窃盗団による犯罪やチャイニーズマフィアなどの陰の部分があっても結構
減らすために努力すればいい。
でも減らない。
なぜかと言うとハングリーだから。
勝利に対しハングリーだから。

勝ちたいならば勝手にやってくれ。
裕福になりたいのならば勝手にやってくれ。
ただ負けたくないのであれば、自分が国家になればいい。


殷・周・秦・漢・三国・隋・唐・宋・元・明・清・中華民国・中華人民共和国・黒子(自分)

という絵を描く事ができるのならば、ただ穏やかに・・・
ミサイルを打ち込まれた人間が、もし耐え忍ぶのならばエスカレートしないと思います。

重ねて申しあげます。
「怒りはさらなる怒りを生み、虚偽はさらなる虚偽を生む」



黒子

2006/04/12

振り子の如く

「全ては振り子の如く繰り返しである」

突然、そんな感情が生まれました。

どうも、きょんばんは(今晩は)地井 武男です。

改め黒子です。
よろしく

今日のテーマは「何故争いが起こるのか?争いを無くす為、私に何ができるのか?」

という壮大なテーマでお送りします。

結論から言いますと、求め続ける行為こそが争いの根源であるのならば「争いはなくならない」という結論になります。
なぜならば、皆さんが「生きている」という状態を逆に言えば「死んでいない」という状態だからです。
死なない為に殺生を繰り返し、防衛は憤怒と反逆を生む。そして結局、皆生きる、若しくは生きようとする。
また生きる為の殺生は「食物連鎖」というソフトな表現で義務教育の場を汚染しており、罪悪感の欠片も持たない児童は、いずれ社会の柱となる。
あぁ私は怖い。怖いから伝えたい。


現在、私の目の前に大きな振り子があります。
右に行ったり左に行ったり・・・
上に上がったり下に下がったり・・・
奥に行ったり手前に戻ったり・・・
ブラブラと繰り返します。
この運動を観察していて思ったことがあります。


「Xの力はいずれ−Xの力となり、Yの力はいずれ−Yの力となる。そしてZの力はいずれ−Zの力となり、では時間のいずれは??」


[X]とは一次元の事、すなわち「点」を意味します。
[Y]とは二次元の事、すなわち「線」を意味します。
[Z]とは三次元の事、すなわち「立体」を意味します。
そして四次元目を「時間」と定義します。

振り子が、右に振られれば左に振られる
上に上がれば下に下がる
奥に行けば手前に戻る

当たり前ですよね。

しかしながら、四次元目を「時間」と定義してしまうと「なんだかなぁ??」となりませんか?
「時間」は常に流れているものです。前進あるのみで戻ることがありません。イボ猪と同じで前しかありません。
一、二、三次元の中では当然のように反復を繰り返すくせに四次元目はなぜ反復しないのでしょうか?

ここでいくつかの仮説が生まれます。

「四次元目は存在しない」

「四次元目を定義することができない」

「四次元目を時間と定義するのは間違っている」

「四次元目は個々のテーマである」

「振り子の習性では四次元目の反復は確認できない」

「反復という運動自体が一、二、三次元の中でしか起こらない」

「時間という表現自体が適切ではない」

「時間は常に止まっている」

「四次元目は松本 智津夫容疑者である」







ここで全く違う角度からの仮説が生まれます

「本当は八次元目まである」




「四次元目は不明だ」

「五次元目も不明だ」

「しかし、六次元目は体育の授業だ!」

「七次元目は・・・・・」

「七次元目はビールとタバコとロックンロールだ!」

「八次元目は・・・」

「八次元目を上手に表現すると・・・やっぱり松本 智津夫容疑者だ!」

ほうらこれですよ!これっ!
真面目なテーマで書こうと決意した私が脱線してしまう現象こそが、振り子の運動に酷似しているではありませんか!

真面目な状態から不真面目な状態への移り変わりを今まさに・・・今まさに・・・

さて本題に戻ります。
上記のような現象がしばしばありますので、四次元目を「状態」と呼びます。
さらに「状態」は反復するものとの考えです。

お腹が減っているときの食べ物はおいしく感じるように

「満たされない状態からの脱却に対し人間は感動するのである」
さらに
「満たされている状態からの脱却に対しても人間は感動するのである」

憎悪はどこからともなく生まれるのでは無く、現状よりも幸せな状況への反逆ではなかろうかと・・・
簡単に言うと「幸福」の状態であった場合「幸福」の状態で無くなる時は何日後だろうと考えてしまいます。
「幸福」と「退屈」を繰り返すように、生は死へのカウントダウンとして、刻々と時を刻みます。
すなわち、世界は戦争と一時的な平和をフラフラと彷徨います。
無意識下の感動が隣の畑を羨むように大きく勢いをつけて進みます。
負から正に向かう 正から負に向かう
どちらも向かうという姿勢
しかし、いつも行き過ぎる、やりすぎる


不自由が故に明確な目標が見つかる事もあります。
自由が故に疲れてしまうこともあります。
では、本当の幸福とは前者でしょうか?後者でしょうか?
否!
前者も後者も幸福ではありません。
目標も向上も一時的な現象です。
正でも負でもないゼロの状態が最善の「状態」にあると言えます。
色で言えば、無色透明もしくは純白
歌手で言えば「B’z」
「ゼロがいい、ゼロになろう〜♪」
正に、もう真っ白状態ですね。

しかしながら、現代の超高速化社会において振り子の振れ幅が大きくなっているように思います。
自由の氾濫、不自由の氾濫
貧富の差が大きくなっているとでも申しましょうか・・・
怒りはさらなる怒りを生み
虚偽はさらなる虚偽を生む
振り子の大きな振れは妬みと焦燥をかりたて
いずれ己の頭上に鉄槌が近づいてくるでしょう。
因果応報、陰毛ボウボウ
核の保有は周りを核の脅威にさらし
危険を察した国々でも核を保有していきます。

朝鮮民主主義人民共和国の偉大なる将軍様による特異な行動を
各国の脅威からの脱却と考えればいたしかたない行動なのかも知れません。
防衛の為の核保有、もしくは威嚇


「歴史は繰り返し、怒りの大半は自己防衛の行く末である」

                   (黒子苑より)


アメリカが悪い訳ではない、テロが悪いわけではない。
地球上に様々な状態が存在するかぎり「しょうがない事」と諦めるべきです。
そして、全員が反省するべきです。
「また振り子の幅を大きくしてしまった・・・」と「今まで長々と生きてしまった・・・」と
だから私は振り子の幅をできるだけ小さく・・・小さく
他に影響を与えぬよう小さくひっそりと振れる事が、争いを無くす最善の策ではないかと提案致します。
何もしない、誰に指図もしない、社会的上下関係に放屁をかます。初対面の女子大生に突然精子をぶっかける。又、いきなりケツを揉む。
「ははは、これが私の反逆なり」「反逆のアイドルなり」


ただ各県から届く「税金を払いなさいよ」という書類のみが私を追い詰める。
ちなみに俺は払わんよ。無政府主義者(アナーキー)だから。無い袖は触れない、叩いても何も出てきませんよ。出るのは、臭いタイプの放屁ばかりなり。「ぷ・・ぷりぴっ」

しかし食物連鎖の末、肉となった私は、いつになれば敗北からの脱却を許されるので
しょうか?
ただ、小さく振れる事が私の望みなのですが・・・
私が全て悪いのでしょうか?
全てが私の責任でしょうか?
酒の席での惨事は私が全て悪いのですね。
銀河の全ての負の部分は私が処理すべきなのですね。

負の部分は私の体内で消化され放屁となる。
しかし、そろそろパンクしますよ。


お前ら偽善者掻き分け〜♪
俺の詩声聞こえる〜♪
ダサい人生背負って〜♪
大人は止めろと言うけど〜♪
いくら体裁ぶっても〜♪
俺の詩は最高〜♪


・・・昔はジョニーもよかった、けれど今じゃ俺、黒子♪!



黒子